山フーズは、「食とそのまわり」にある、もの・こと・感覚などをすくい上げ、考察・研究・創作・ご提案し、様々な形でみなさまの身体へお届けすることを生業としています。

私たちが生きていく上で欠かせない「食」ですが、食を考える切り口には本当に様々な視点があります。食の営みについての切実な状況や問題もあると同時に、飽食の時代に暮らす多くの人にとって1日3回あまり考えずとも通り過ぎていくあたりまえの行為になっていたりもします。そんな現代における日々の中の「食べる」ひとときを、いつもとちょっとだけ違う視点からご提案し、身体を内側から揺さぶることができたら、なにかが少し豊かに開けるかもしれない。なまみの身体を使い、誰もが行う「食べる」という行為の中には、いろいろな可能性の窓が秘められているといつも思っています。

また、“素材としての勢い、料理としての勢い、美味しさ” を大切にしながら、素材にどう触れるか、丁寧に向き合いながら料理しお届けできるように心がけています。
触れ方はまなざし。それは知ること、経験、感じる掌の鮮度や想い想像する余白。対話、距離感、祈りみたいなもの。常に探求しながらもっともっとまなざしを鍛えるべく日々活動しています。

料理と言って思い浮かべるのは最後の最後のほんの一瞬の行為のこと。そのまえに、畑を耕し天候に向き合いじっくりと、こんなにうつくしい力強いものを育てている時間、微生物とともに土を育てている時間があって、その時間の方がはるかに料理しているのではないかと食材を手にいつも思います。そして分厚い歴史の中で育まれてきた、試行錯誤の蓄積により今の食が成り立っていると思うと、いつも手にしている食べ物に違う目が開けてきます。

食材に旬があるように、私たち自身の身体も感情や体調によって変化するナマモノです。目に見えるもの見えないものを含めた生き物×生き物のやりとりが料理であり、おいしいには正解がなく常にゆらぎを孕んでいるものだと思っています。そういう均一ではない、生きているからこその不安定さが介入するのが料理の面白さ、心地よさかもしれません。

料理する身体や食べる身体のこと、食べ物(生き物)との関わりについて、世界の循環の中での食、脈々と受け継がれ変化発展してきた歴史、食にまつわる多様な現状や、この先の未来のこと。様々なサイズの視点を横断し、既存の枠を超えて柔らかに「食べるってなんだろう」「おいしいってなんだろう」「料理するってなんだろう」そして「生きているってなんだろう」を手探りし、味わい、問い続けていきたいと思っています。

現在の主な業務は以下のようなものがありますが、以下に関わらずご相談などコンタクトフォームよりお気軽にお問い合わせください。

  • ケータリング

    会の内容、場所、コンセプト、人数、ご予算などに合わせて内容をご提案しています。
    ※現在ケータリングのご依頼は縮小しております。

  • テーマに合わせたお菓子などの商品開発&制作
  • イベントの企画や参加、ワークショップの企画開催
  • レシピ提供、執筆、講師
  • 食をテーマにした作品の制作・展示
  • 食とそのまわりの調査・研究・ラボ
  • 食を用いた撮影のコーディネート
  • 様々なコラボレーションや自主企画 など

東京を拠点としておりますが、内容により全国へ出張もいたします。是非お気軽にご相談ください。(東京都世田谷区世田谷にキッチンアトリエを構え活動しています。飲食店営業許可、菓子製造販売許可、そうざい製造業許可、食品衛生責任者、食品衛生協会会員、総合食品保険 完備。)

※テーマやご依頼内容を伺いながらその都度ご提案、お見積もりを作成いたします。コンタクトフォームより日時、場所、人数や規模感(ご予算が決まっている場合はご予算もご記入ください)、内容など、分かる範囲でご記入ください。追ってメールにてお返事いたします。(内容により、小桧山でなくマネージメントのものがお返事する場合がございます。)
日程や内容、金額によりお受けできない場合もございます。ご了承ください。

主宰
小桧山聡子 kobiyama satoko
  • 1980年 東京生まれ。
    料理好きの母の元で育ち、幼少の頃から料理を作って食べるよろこびや楽しさ、それをもてなす幸せな感覚をとても身近なものとして感じ育つ。幼稚園の頃から包丁を握り台所に立つ。過剰なおもてなし精神は母譲り。
  • 小学時代
    活発で人前でコントなどをよくする。給食の献立は1ヶ月分丸暗記&クラスでだいたい一番におかわりをしていた。
  • 中学時代
    突然、恥ずかしいという感情に気づき赤面症になる。身体を意識し始める多感な時期に突入。あるきっかけから(真夜中のポトフ事件)「食べる身体」に深く興味を抱き、食べるとは、美味しいとは何なのか?食べるという行為について、料理をするということについて、気になりだす。様々な実験を極個人的にこそこそと開始。
  • 高校時代
    暗黒の高校時代。学校は出席日数ぎりぎり。足を怪我して大好きな運動が3年間できなくなり腐りかけるが、美術予備校で良き恩師や友に恵まれ世界が広がる。言語でない方法で対話ができることに改めて目覚め、創作の世界で生きていくことを決意する。コンテンポラリーダンスや暗黒舞踏をよく観に行き救われる。便秘に悩まされ、排便することやトイレという存在について、食べ物の行く末などについて考えるようになる。
  • 大学時代
    紆余曲折あったけど楽しかった浪人ののち、多摩美術大学の絵画学科油画専攻に入学。ミクストメディアコースを選び、在学中油画は1枚しか描かず、立体作品やインスタレーションを制作。学外で舞踏カンパニーに所属し並行して行う。アートアニメーションにも没頭。制作のテーマや興味は主に身体、輪郭や境界。
  • 卒業後
    工房に就職。金属、染め、木工、革、などを扱う工房で丸3年間職人として働く。個人の制作、展示発表なども細々行う。平面も描き始め、本の装画などのお仕事もいただく。
  • 2009年
    不思議なご縁で飲食店で働くことになり、そこで月に1回映画と食のサロン「kiiiiino」を開催することになり、はじめて大勢の方へ料理を作る機会を得る。(移動映画館のkino-igluと代々木にあったDADACAFE(現在は閉店)の主催)自分の手で作ったものが、相手の身体(内臓)の中へ入っていき、血肉となっていくのが料理であることに改めて気づいて鳥肌が立ち、また、今までの美術制作での経験や、食に対する思い(中学の頃から続く実験など)をテーブル上に余すことなく込められると、のめり込んでいき丸2年間いろいろな試みをしながら食の場を作ることに大没頭。
  • 2011年
    震災でお店がクローズしたことをきっかけに「山フーズ」と公に名乗りフリーランスとして仕事を始める。同年夏に表参道のギャラリーROCKETがfood×artというコンセプトでリニューアルし、コック長として約3年の間(2011~2014)ギャラリー内の企画に合わせた料理の提案やROCKETとして外部の各種ケータリングを担当。 並行して「山フーズ」として個人の仕事も行う。
  • 現在

    ケータリング、食を用いた広告撮影、イベント企画、ワークショップ、商品開発、執筆、講師など多岐にわたって活動。
    山形ビエンナーレ2018では、山形の食材と自身との関わりを一皿に現していく作品(映像、写真、印刷物、テキストで構成したインスタレーション)を制作、発表。

    また、「食べること・聴くこと」の可能性を探る観客参加型の実験的な公演(「山林-yamabayashi-」)や、レシピからはこぼれ落ちてしまうけれど一番大切な、料理することへのまなざしに丁寧に迫る人形劇のお料理番組(「共喰いクッキング」)など自主プロジェクトの公演も行う。

    日本全国の食材をつなぎ一期一会の商品を作り販売する、生産者と家庭をつなぐプロジェクト(「 catering for me!」)や、山フーズのオリジナル商品を販売するwebストアも開始。

    「食を入り口に身体感覚をひらく」試みや、様々な実験、研究をよりじっくり腰を据えて行うための場づくりを現在構想中。